第11話から、「高齢者向け大学で何を学ぶのか?」というテーマで、いろいろ考えてきました。
老後のお金。
健康。
医療。
介護。
夫婦の暮らし。
災害への備え。
スマホやパソコン。
そして、100歳まで生きるなら何をしたいのか。
こうして考えてみると、シニアになってからも、学ぶことはたくさんあります。
知らないことを知る。
新しいことを覚える。
専門家から教えてもらう。
これは、とても大切なことです。
でも、私はここで一つ疑問があります。
「シニアは、いつまでも教わる人なのでしょうか?」
シニアには「教わる」だけではない学びがある
大学教授は、その道の専門家です。
医療なら医師。
介護なら介護の専門家。
お金なら金融の専門家。
それぞれ、私たちにはない専門的な知識を持っています。
だから、専門家から教わることは大切です。
しかし、老後の暮らしそのものについては、少し違うところがあります。
実際に年金で生活してみないと分からない。
病院へ通ってみないと分からない。
薬を毎日飲んでみないと分からない。
夫婦で一日中一緒に暮らしてみないと分からない。
退職して「毎日サンデー」になってみないと分からない。
つまり、
生活してみなければ分からないことも、たくさんあるのです。
私たちは「生活者」として生きてきた
私たちシニアは、長い年月を生きてきました。
仕事をしてきた。
結婚した。
子どもを育てた。
家を買った。
住宅ローンを払った。
食費や光熱費をやりくりした。
病院にも行った。
家族の病気や介護を経験した人もいるでしょう。
人によって経験は違います。
だからこそ、一人ひとりの経験には価値があります。
例えば、
「年金だけで生活すると、こんなところにお金がかかる」
「病院へ行くようになって、こんなことに気づいた」
「妻と一緒に暮らす時間が増えて、こんな問題が出てきた」
「介護する側になって初めて分かったことがある」
こうした話は、教科書だけでは分かりません。
「失敗した経験」も誰かの役に立つ
私たちは、自分の失敗を人に話したくないことがあります。
「あのとき、もっと考えておけばよかった」
「お金を使いすぎた」
「健康に気をつけておけばよかった」
「もっと旅行しておけばよかった」
「家族ともっと話しておけばよかった」
そんな後悔もあるでしょう。
でも、失敗した経験だからこそ、これから同じ道を歩く人に伝えられることがあります。
「私はこうして後悔した。だから、あなたは少し早めに考えてみて」
これも立派な学びです。
成功談だけが人の役に立つわけではありません。
失敗談も、後悔も、迷った経験も、誰かの道しるべになるのです。
シニアは「先生」にもなれる
先生というと、学校の教壇に立っている人を思い浮かべます。
でも、私は先生というのは、資格を持っている人だけではないと思います。
長年、農業をしてきた人。
料理を続けてきた人。
子育てをしてきた人。
家計をやりくりしてきた人。
会社で人を育ててきた人。
病気と付き合ってきた人。
介護を経験した人。
地域で暮らしてきた人。
その人にしか分からない経験があります。
それを誰かに伝えることができれば、その瞬間、その人は誰かにとっての「先生」になるのではないでしょうか。
「教える」と言っても難しく考えなくていい
もちろん、
「私は人に教えるほどの知識なんてない」
と思う人もいるでしょう。
私もそうです。
専門家でもありません。
大学教授でもありません。
でも、
「私はこうだった」
と話すことはできます。
例えば、
「年金生活では、こんなところにお金がかかった」
「定年後は夫婦で趣味が合わず、こんなことで悩んだ」
「健康診断で引っかかって、薬を飲むようになった」
「災害に備えて、薬やトイレのことも考えるようになった」
これは、私自身が生活してきたからこそ話せることです。
誰かに押しつけるのではなく、
「私はこう考えています」
と伝える。
それだけでも十分なのだと思います。
ブログも「学びを伝える場所」になる
私がブログを書いているのも、同じ理由です。
最初は、
「こんなことを書いて、誰が読むんだろう?」
と思うこともあります。
でも、世の中には自分と同じようなことで悩んでいる人がいるかもしれません。
「定年後、お金が心配」
「毎日何をすればいいのか分からない」
「夫婦で趣味が合わない」
「健康が心配」
「親の介護が心配」
「スマホが苦手」
「これから何を生きがいにすればいいのか分からない」
こうした悩みは、決して自分だけではありません。
だから、
自分の経験を書けば、それを必要としている人に届くかもしれない。
そう考えるようになりました。
若い人から教わることもある
もちろん、シニアだから何でも知っているわけではありません。
むしろ、若い人から教えてもらうこともたくさんあります。
スマホの使い方。
新しいサービス。
インターネット。
キャッシュレス決済。
AI。
SNS。
若い人には当たり前のことでも、私たちには分からないことがあります。
そんなときは、
「教えて」
と言えばいい。
年齢に関係なく、
教える人にもなれるし、教わる人にもなれる。
この関係が一番自然なのかもしれません。
「高齢者」という言葉より「生活者」として
私は、シニアになってから、
「高齢者だからこうしなければならない」
と決めつけられるのは、少し違うような気がしています。
私たちは「高齢者」という一つのグループではありません。
一人ひとり違う人生を歩いてきました。
好きなことも違う。
体の状態も違う。
お金の状況も違う。
家族構成も違う。
考え方も違う。
だからこそ、
「シニアだからこうする」ではなく、「自分はどう生きたいのか」
を考えることが大切なのだと思います。
学ぶことに終わりはない
シニアになったら勉強は終わり。
私は、そうは思いません。
むしろ、仕事をしなくなったからこそ、自分のために学べる時間が増えました。
スマホを覚える。
パソコンを覚える。
ブログを書く。
知らない場所を調べる。
健康について学ぶ。
介護について知る。
年金について調べる。
そして、人から話を聞く。
これらはすべて学びです。
でも同時に、
自分がこれまで経験してきたことを誰かに伝える。
これも学びなのです。
最後に――シニアは「教わる人」から「伝える人」へ
高齢者向け大学へ行く。
講座を受ける。
専門家から学ぶ。
それは、とても良いことだと思います。
でも、そこで終わってはいけない。
学んだことを、自分の生活に生かす。
そして、自分が経験したことを、次の世代へ伝える。
私は、それがシニアの学びの完成形ではないかと思っています。
教わる。
↓
自分で試してみる。
↓
経験する。
↓
そして、誰かに伝える。
この繰り返しです。
私たちは、いつまでも「教わるだけの人」ではありません。
長い人生を生きてきたからこそ、若い人には分からないことがあります。
年金生活の現実。
夫婦の距離。
病気との付き合い方。
介護の苦労。
家族への思い。
お金の失敗。
人生の後悔。
そして、
「今日をどう生きるか」
ということ。
これらは、私たち生活者だからこそ語れることです。
100歳まで生きる時代。
まだまだ知らないことがあります。
だから、これからも学びたい。
でも同時に、
「私にも誰かに伝えられることがある」
と思って生きていきたい。
シニアは、いつまでも教わる人ではありません。
学んできた人生そのものが、誰かにとっての教科書になる。
私は、そんなシニアの生き方もあっていいと思っています。
そして、この「高齢者向け大学から考えるシニアの学び」というシリーズを通して、私自身もたくさんのことを考えることができました。
これからも、教わりながら、考えながら、そして自分の経験を伝えながら、
自分の人生を、自分らしく生きていきたい。
それが、私がこれから目指したい「シニアの学び」なのです。