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生涯、私は90代まで生きていられるのだろうか。球磨川の友人たちが教えてくれたこと

こんにちは、自由まなぶです。

最近、夜になると考えることがあります。

私は90代まで生きていられるのだろうか。

いや、70代かもしれません。

80代かもしれません。

それとも、もっと早いかもしれません。

それは神様しか知りません。

中学生まで過ごした故郷、球磨川。

山があり、川があり、自然に囲まれた場所でした。

あの頃は、友人たちと毎日のように遊んでいました。

将来のことなど何も考えず、ただ一日一日を楽しんでいました。

しかし今、その友人たちの中には、もうこの世にいない人もいます。

何も言わずに、

一人、また一人と、

違う世界へ旅立っていきました。

訃報を聞くたびに、寂しくなります。

「あいつも、いなくなったのか……。」

そう思うのです。

そして、ふと考えます。

なぜ私はまだ生きているのだろう。

特別な人間でもありません。

立派なことをしてきたわけでもありません。

それでも、今日もこうして生きています。

もしかしたら、

「君にはまだ少し未来を見てきてほしい。」

そう言われているのかもしれません。

90代まで生きることは、楽なことではないと思います。

80代にも苦労があります。

70代にも不安があります。

体力は落ちます。

病院へ行く回数も増えるでしょう。

友人との別れもあります。

親しい人を見送ることもあります。

それでも、人は生きていくのだと思います。

98歳の母を見ていると、そう感じます。

母は「直送でいい」と話します。

しかし、昔話になると笑います。

歌を歌います。

桃の話をして喜びます。

つまり、生きる喜びは最後まで残っているのです。

私は90代まで生きるかどうか分かりません。

でも、もし明日も目が覚めたなら、

庭のトマトを見て、

家内と笑い、

母と話をして、

また一日を大切に生きてみようと思います。

先に旅立った友人たちの分までとは言えません。

でも、

「もう少しだけ未来を見てみなさい。」

そう言われている気がするのです。

だから私は今日も、静かに生きていこうと思います。


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「人生の終わりは誰にも分かりません。でも、今日という一日だけは、私のものです。」