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母の思い出の味を覚えてますか?私はどんな料理だったか記憶がない!

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自由まなぶ

6年前に大損した。家族には言えなくて独りひっそり、youtubeで儲かる話の動画を見てまた大損した。その後、メンターの動画を拝見して、この人だったらと思って、独りひっそり、引き寄せの法則、潜在意識、地球の波動、周波数の秘密を教わって、健康でお金に心配のない残り少ない人生を過ごします。これから謙虚に感謝の気持ちで日々学んでいます。

母の思い出の味を覚えていますか?

私は振り返って、幼少期に食べた

食事が思い出せません。

いまは、高齢者になった私が

母が作ってくれた料理で

記憶に残っているのを思い

出せません。

全くと言っていいほど、思い出せないんです。

認知症だからと疑っているのでしょう。

まだ、そこまでは衰えていない高齢者です。

先日、イラン生まれの俳優・タレントの

サヘル・ローズさんが新聞で「トマト入り目玉焼き」が
母の味たと記事にしていました。

その記事を読んで、母の味を

調べてみました。

あなたは、母の味を覚えていますか?

幼い頃は、魚嫌いで肉食が中心の

食卓でしたが、肉は鶏、豚、牛3種類の

どれかを食べていたと思います。

その料理もどんなものだったかは

記憶にありません。

記憶に有るのは、鶏肉は羽根の毛の

後が付いたような、鳥肌がぶつ切りに

ごぼう、にんじん、玉ねぎ、こんにゃく
レンコンが入った煮しめ、筑前煮が

食卓に贅沢な一品として出ていたと思います。

朝ごはん、昼ごはん、夜ごはんのメニュー

覚えている訳ではありませんよね?

日本の食卓は昭和になってから、

自宅で食べ始めたと聞きます。

それまでは、自宅で食事をするのではなく
食堂や屋台で家族ぐるみで外食するのが主流だった。

食卓で、母の味を思い出すことが出来ません

魚と言えば、サバ、鯛、きびなご、小魚

味噌汁の具は、いり子を出汁として使い

わかめといり子、あさりといり子、

必ず、味噌汁の具の一品が入っていた。

私は魚嫌いだったので、邪魔だった。

いり子(関東では煮干し)は大きさが

まちまちで、味噌汁を食べるときは

味噌汁からいり子を取り出して、

小皿に入れて、最後に食べた記憶がある。

しかし、試食になる物が思い出せないのは

なぜか?

一つ思い出しました。

それは、肉の代わりにクジラの肉でした。

クジラの肉は、良く食べた記憶があります。

クジラの肉を買ってきて、臭みを取るのに

生姜を刻み、醤油と砂糖を使って、

すこし漬けて、アミで焼いて食べていたことがある。

魚とは違い、臭みもなく、抵抗なく幼少期に食べた。

しかし、母の味が何だったかは思い出せない。

小学校時代給食は無かったから弁当のおかずは?

覚えていない。

卵焼きが美味しかったという記憶がない。

母の得意な料理は何だったか?

わたしが成人して社会人になって

母は食堂兼弁当屋さんで仕事をし始めた。

母の特技が弁当屋さんで判明した。

それは、寿司飯でした。

母が勤めていた弁当屋さんは駅弁を

販売して、地元産を使った寿司弁当を

駅ホームで売り子さんが、弁当を肩にかけて

列車が停車すると、弁当はあっという間に

売り切れる始末。好評で最近は、懐かしい

駅弁として紹介されてもいます。

母は既に退職し、後任の方が寿司の味付けを

指導して、皆から親しみやすいおばあさんと

呼ばれていました。

そんな母が、私にも寿司飯を食べさせてくれた。

これが母の味かと思った。

寿司飯と思って、一口食べた、酸っぱいと

思ったのですが、寿司飯がすこし甘く感じた

酢の味が、口の中にとろけるような

何とも言えない、もう一度口に含むと

優しいお母さんの味がした。

この味は、私にとって、幼少期の時代の

食卓の味とは違った、新しい母の味だった。

その寿司飯を、ちらし寿司にして、故郷に帰って
来た時にいつも振舞ってくれています。

母の味はいくつになっても、変わらないんですね。

味は、忘れないのでしょうね。

あなたの母の思い出の味はなんですか?

幼少期は味というものは、分りませんでしたが
大人になって母の味が分かった時は嬉しく思います。

帰省した時に、久しぶりに作ってくれる

母の味が思い出の味なんですね。

よく、母親から教わった味付けをして料理しても
完璧な母の味は出来上がらない。

完璧にまねのできる味を作る事は
出来ないでしょう。

母にしかわからない隠し味がきっとあると
思います。

今日も私のブログを読んでいただき

有難うございました。