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【高齢者】歩いてきた人との思い出は

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自由まなぶ

6年前に大損した。家族には言えなくて独りひっそり、youtubeで儲かる話の動画を見てまた大損した。その後、メンターの動画を拝見して、この人だったらと思って、独りひっそり、引き寄せの法則、潜在意識、地球の波動、周波数の秘密を教わって、健康でお金に心配のない残り少ない人生を過ごします。これから謙虚に感謝の気持ちで日々学んでいます。

あなたは、友達、友人、仲良し
とは、幼い頃から今の年代まで
付き合っている人はどれくらい
いますか?
私はその中の仲間には入れない
人生を送って来たので、この町
あの町、そんな町の友達にとし
てだけで、特定の友人は居ない
だけど、私の思い出の中には
沢山の事が、スクリーンとなって
浮かび上がります。ただ友達の

名前は出てこないけど、顔は

はっきりと覚えている。
この町で友達だった、子の家に
遊びに行くと、その家の匂いが
している。ちょっと裕福の家の
子は、おしゃれの匂いが家中を
駆け回っているから、玄関を
開けると、子供の私にはいい
匂いがしていたのを覚えていた。
私は、鼻水を垂らして、いる
感じの男の子でしたから、常に
長袖シャツの手首のところが、
ピカピカと光っていた。そのピカピカト
は鼻水をこすった後の物で良く
光っていたのを覚えている。

私は鼻水はあまり出なかった

けど友人の鼻水は列車の様に
トンネル(鼻の穴)を行ったり
来たり、今の子には分からない
と思う。東南アジアの子供達の
映像を観ているとその光景が
見られる。風邪なのか分から
ないけど鼻水は昔の象徴だった
わたしは、その子とは良く
遊んだ気がする。今どうして
いるかは分からない。風の
便りと言うけど、音沙汰内

音信不通です。正月の年賀

状は途中から来なくなった。
私も父の仕事で他の町へ移り
子供の頃ですから、住所を
聞いてもメモする程度で、記憶
も無くなっている。
他の土地にいついても、私は
次の友達と遊ぶことだけが
教科書より楽しかった。
あなたはどうでしたか?
遊びに夢中になって、夕方
自宅に帰ると、うどんのつゆ
の出汁のきいた匂いが鼻に
付きお腹もペコペコで、畳に

飯台を出して、箸、小皿を

用意し、メインの肉うどんの
食卓の準備の手伝いをして
家族みんなで頂ける夕飯を
誰からともか、手を合わせて
「いただきます」の声がして
うどんの具は牛肉とネギは
斜め切りにして、当時は卵は
有りません。ぜいたく品は
一週間の内2回程度して卵は
出てきませんでした。
肉うどんの肉は甘辛くうどん
に合い、うどんと一緒に絡ま
せて食べると喉ごしにツルットと
噛まずに喉を通るときのおい
しさは食べてみないと分かり
ません。しかし、当時とし
ては牛肉もなかなか冷蔵庫も

無く肉屋さんから買ってきて

直ぐ料理の支度をしていたの
でしょうかね?
冷蔵庫と言えば、冷蔵庫は
電機ではなく、氷屋さんの氷
を四角の物を買ってきて
冷蔵庫の一番上の棚に氷を
置いて冷やしていた。
今考えると、気休めにしか
見えない冷蔵庫だったみたい。
それでも、今の時期はスイカは
冷蔵庫に入らなかったので
昔は水道の普及も悪く井戸水
でスイカを冷やしたものでした。
冷えたスイカは近所の井戸水を
汲みに来る人達と分け合って
食べたものでした。

そのスイカに包丁を入れる際最

初にへたの部分を3cmほど切
り落とし、へその部分も3cm
程切り落として丸い大玉に
包丁をかざし切り始めると
少し切っただけで、ポンと言う
音が聞こえ、良く出来ていると
包丁を握ったおばさんが口を
滑らせた。その後は月の様に
切り刻んで、子供の順に手を
伸ばし少しでも大きいスイカを
手に取って両手で小さな口を

スイカにかぶりついた。鼻の頭が

スイカで少し赤くなって、子供
同士し笑いながら食べた思
い出が懐かしく思う。
あの時の友達は、どうしてい
るかなと思う時が有る。
新型コロナで自粛しているのは
高齢者だけど、友達と今月会
う約束をしたのに、都内では
またまた、100人越え本当に
国民の皆さんは自粛使用として
いるのでしょうかね。

私は、政府の対策できずまま

災害被災地へ、実家へ帰り
ます。母(93歳)から帰って
こいと電話で言われて帰ります。
年寄りは私も71歳です。高齢者
ですが、跡片付けに行きます。
新型コロナ対策をしっかりしながら
災害とコロナと闘ってきます。
7月は大雨の季節です。昨年は
九州の佐賀県が大雨で悲惨な
目に会って居ているのを国は
分かっているはずです。

私の実家も床上浸水しまてた。

駅までは来ないよと言っていた
母の言葉が、絶句しました。
そんなに高台とは言えないけど
川よりは少し高い場所に実家が
ある。その場所でさえ、1m80cm
と大人の背丈迄濁流が流れて
来たそうです。
50年に一度の災害は日本全国
何処で起きても可笑しくない
環境になってきている。