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【母と同じ病気だったのは盲腸(虫垂炎)は季節によって直りが違った】

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6年前に大損した。家族には言えなくて独りひっそり、youtubeで儲かる話の動画を見てまた大損した。その後、メンターの動画を拝見して、この人だったらと思って、独りひっそり、引き寄せの法則、潜在意識、地球の波動、周波数の秘密を教わって、健康でお金に心配のない残り少ない人生を過ごします。これから謙虚に感謝の気持ちで日々学んでいます。

盲腸と聞くと今は盲腸炎と
言うそうですが、昔は盲腸。
母が盲腸になったのは私が
小学校3年生の夏から秋に
かけて入院したと思った
なぜ、覚えているかと言うと
それは、お見舞いの時の果物
果物籠の中に入っていたのは
緑色した、香りがとっても強い
マスカットが鼻につき覚えて
いるからです。
病院へはどうやって行ったかは
覚えていませんが、とにかく
盲腸よりはマスカットの強烈な
匂いが今でも思い出されます。
盲腸になった発端は、青春の門
の本に筑豊地方のボタ山が絵が
かれていますが、昔はボタ山に
ほど近いところで、石炭を掘った
くずの中に石炭の欠片が多く
含まれその石炭を拾い集めて
いたのです。



その頃のボタ山はトロッコが
地下から掘り出した石炭を
引き出すのに、シーソーの原理
片方が地下に居たらもう片方は
ボタ山の頂上に居て、互いが
下ったり上ったりを繰り返す
トロッコだったので、
そのトロッコがボタ山の頂上に
引き上げられた時にトロッコが
傾きくずを捨てていたのです。
そのくずを集めるのに、
トロッコの側で拾い集めていた
時に、母が急にお腹が痛くなった
と近所のお母さん方と一緒に
拾い集めに行っていた方々が
母を病院へはリヤカーで連れて
言ったと聞いています。
その頃は救急車というものは
なかったと思います。
消防車はあっても救急車は
待機していたわけではなかった
当時の消防車は各地域に火の見
櫓があってそこから家事現場の
火の手を見て、町内の消防青年団
が現場に駆け付けていた。
ですから、救急車はまだ無かった
と思います。
初めて救急車が登場したのは
1931年(昭和6年)大阪に配備
その後1963年(昭和38年)
消防法が改正され地方公共団体の
消防本部が救急業務を行う規則
法制化された。
1970年(昭和45年)消防自動車と
同じサイレンの「ウ~」の音との識別
搬送中の緊急自動車の専用「ピーポー」
に変更になった。
改めて、救急車の歴史は短いですね。
母はリヤカーで病院へ行き、盲腸の
手術右腹の下をどの程度切除したかは
分かりませんが、私の場合とは違い
メスで大きく切り、お腹の抜糸が
取れるまで、なんないか病院へ
通ったみたいです。

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マスカットの独特な香りを食べた
事だけが今でも残っている。
私も母と同じ盲腸になったのは
高校三年生の冬休み前でした。
私は高校時代は寮生活で実家は
列車で2時間ほどの田舎の温泉町
たしか学校の授業を受けて
寮に戻った時に、急にお腹が
痛くなって今日田舎へ帰る
支度をしていた矢先の事、ちょっと
我慢すれば治ると思い、少し
ベットに横になっていましたが
我慢できずに、帰る支度をして
駅までタクシーで行き、いつもなら
鈍行列車(普通列車)で時間を
駆けて帰るのですが、今回ばかりは
たまたま時刻表を見ると急行列車
が直ぐ乗れるのを知って、普通切符
と急行料金の切符を買って乗車した
その時、額からは冷や汗と冬なのに
いやな感じがした。
列車の中は暖房が入っているのだが
学生コートを着ていても寒気がして
じっと耐え、到着するまで、
寝たふりをして我慢した。
田舎駅に列車が停車するのと
同時に、下車して自宅へ一目散に
帰り夕方だったので次の日の朝
病院へ行き、お腹を出して先生が
両手で、右下の腹部を抑えても
痛くないのです。その次に溝内を
抑えたとたん、右下部分が激震が
走り、痛いと声を上げた、その時
先生から、盲腸です。今日入院して
くださいと言われ、入院手続きを
母が手続きをしてくれた。
次の日は手術でした、当時見習い
看護師さんの中に、同級生が3人
いました。その看護師は私の事を
よく知っている女の子で看護学校
の卒業体験実習を学んでいる
最中で私がモルモットでした。
恥ずかしさを通り越して、右腹と
濃い毛を剃り手術の準備を終え
麻酔は脊髄へ、下半身麻酔を打ち
段々麻酔が聞いてくると、先生が
ピンセットのようなもので私の
足をつまみ、感じますか?と尋ね
私は段々記憶もなくなり、
体に触っている音は聞こえる
のですが全く動けないだけは
覚えています。
麻酔が切れたのはどの位
経ってからはわかりませんが
手術をした所が徐々に痛い感じが
徐々に伝わってきた。
二日目にはおならが出てお腹が
すっきりした。
手術は無事終わり、盲腸も摘出
して、退院しました。
冬場だったので、盲腸の後
腹巻をして、切った所が
化膿して、膿が出るようになり
再度、病院で盲腸部分は問題
なかったが脂肪部分がうまく
塞がらず化膿したとみられた
その化膿を治すのに少し
時間がかかった。
高校生で脂肪がついて
いたのでしょう少し脂肪付きの
人は冬場は要注意ですかね。
母からもらった大切な盲腸を
切ってしまいました。
お互いなくしてしまった
のですからお相子さんですね。

コレピカ