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母親98歳の言葉が悲しかった。

先日、妹の携帯からメールが届きました。

お母さんが会いたい言っていると書いてありました。

久しぶりの再会するために

いついつまでに行きますとメールに書いた。

母の住んでいる町は5年前に水害に会い

自宅は水没し、寝泊まりするところが無かった。

その目に母親の親せきに疎開することになった。

当然、水害にあった次の日に、実家に関東から

飛行機を使って、レンタカーで自宅へ

水害現場を見て唖然とした。

泥水が畳、廊下、茶箪笥が倒れ

異様なにおいが部屋の中に充満

跡片付けどころではなく、母の親せきへ

足を向けて、母親と相談して、

廃却するものを分けて、整理するのに時間がかかった。

母とは3年ぶりにご対面でした。

仮設住宅から市営住宅に移り住むのに

役所の手続きが大変だったと話してくれた。

地元に親戚あるいは保証人になってくれる人がいないと

市営住宅は貸してくれないそうです。

やっとの思いで市営住宅に住めるようになった

ほっとするのもつかの間、母のお友達が

この世から去って行って、周りの人が

居なくなっているのに気が付き、

この地を去りたいと私に相談してきたのです。

その時母の口から「長生き過ぎたね」と

あまり長生きすると友達がいなくなり一人ぼっちで

寂しい、私の郷里に戻りたいといったのです。

郷里だとまだ親戚の人もいるので安心だと

現在98歳です。

たまたま、親戚の方(娘さんの携帯から101歳)が

母と話がしたいと施設から電話してきたのです。

話できるが母は足が悪く歩けない状態でも

元気な声は変わりない。