私の住む市報誌に日光東照宮の大鳥居は
九州福岡県糸島市の可也山(志摩小富士)の途中に
石切り場があります。
花崗岩石材として納められたと書かれていました。
私は、九州からどうやって運んだかのか
学者じゃありませんので。
年寄なりに想像して、ルートを考えました。
高瀬舟での航海が始まったのです。
筑前福岡藩士の黒田長政が大鳥居を寄贈するために
出発地点は糸島志摩小富士から元和4年(1618年)
60t、15個を運び出し玄界灘を東に向かい関門海峡を通過し
瀬戸内海をさらに東へ途中村上海賊達(因島)とも遭遇していると思われる。
紀伊水道をさらに東へ進み、左側には小さな富士山が見えてきます。
更に東へ伊豆半島が見えて、右には大島、三宅島がかすかに見え
神奈川の横須賀が左手にいよいよ
河岸を利用することで九州から栃木日光まで巨石
運ぶことが出来た。
江戸時代は内海(東京湾)に入り、江戸まで運んで
再び、思川までの巨石を運ぶルートは川を下り、
当時は隅田川、利根川の途中古河で陸揚げされて日光街道を進み
途中の小山市の思川で落下した石は花崗岩ではなかった。
と河川改修の際引き揚げた医師は「白御影石」であったと
石柱に書かれている。
昔の人は、偉かったですね。
お疲れさまと言いたいです。