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百円札を落とした記憶がよみがえる幼い頃の思い出として今でもよみがえる

散歩は、何故歩くのかと疑問し
たことが有ります。
幼い頃、小学校への道のりは
5回通学路が変わりました。
と言う事は、5回も転校した
という事になりますね。
小1の時に比較的平たんな
アスファルトの道を通学
してました。
何となく覚えてます。
小1二学期は砂利道で、
舗装無しの田舎道を子ども
足ですから約20分掛けて、
学校まであぜ道を歩いて
通学していた。
ある日の事、学校へお金を
持って行く日、確かに貰った
100円が昔の100円は紙幣で
通学途中できずいたのですが、
ポケットに100円が無くなっていた。
集金のお金だったのですが、
先生に訳を話し
次の日にと話をしました。
母方の家に一時住んでいた時
の話です。

百円札

母に100円を無くした事を話した。
その時の100円の価値は今の
1000円位の価値だったと思います。
頭ごなしに叱られました。
二度とお金の取り扱いには
注意しなさいと、言われ
私はその時から、お金の大切さを
教わりました。
しかし、まったくお金を失った
ことが記憶になく今でも、
その道を歩くと懐かしく記憶が
戻ってくるのです。
幼かった自分が、今になって、
悔しくなる事も有ります。
父は、自由業から会社勤め先を
探して、次の職場を探しに
他県へ異動し遠く離れた
炭鉱の町の小学校へ転校し
更に山裾の住宅に住み、この道は
砂利道でひと山越えして学校へ
通いました。寒い今の時期、
長靴を穿き、靴下の穴が開いた、
つま先は冷たさを超えて痛さ
が体に感じ、雪の降りしきる
通学路を人がまだ行きを踏み
しめていない道を歩いて
通いました。
通った道は、ボタ山と言って
炭鉱で掘り出した石炭以外を
トロッコが運び徐々に大きく
なりボタ山となった。
その山は石炭が混じっているので
近所のおばさん方がバケツをもって
石炭とわかる黒く光った石を
見つけては、自宅に持ち帰り
お風呂の燃料として使っていた
昔はガスが無く、コークス、炭
巻きなどが使われていた。
ただ、自宅にはお風呂の家が
少なく炭鉱のお風呂が24時間
入れたのでよく利用した。
冬は早めのお風呂で湯冷めをしない
要に歩く足も速くなっていた。
楽しかった事も有りました。