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【流行語】にならなかったtelework(tele)と(Work)の組合せ離れた場所で働く

会社員時代に、自宅待機と言う
事で自宅で仕事をしたことは無かった
10年前東北地方を襲った
地震、津波で一時交通マヒが
起こり自宅待機で携帯電話
バッテリーが重かったノートパソコンを
使っての仕事をした覚えが有ります。
それがテレワークなんですね。

わたしが技術営業を
担当ししていた頃、
外勤という事になりますが
お客様先への外回りを

火曜日から金曜日まで携帯電話

ビジネスバッグに5kgのノートPCを
担いで商品を紹介していた
昔の富山の方が薬売りをして
いるのと同じ光景でしょうかね
違っているのは、昔は通信機能が
無かったことで、富山から近県は
一週間もあれば帰ってこられたと
思いますが、遠距離は帰社するのも
大変だったと思います。
江戸時代の人が一日に歩いた距離は
十里強(32~40Km)を目安に
宿場まで歩いたと思われます。
東海道53次で例えると東京
日本橋から保土ヶ谷宿まで33km
(8里のところまで)
毎年通年になった大学駅伝で出発地点は
大手町ですが、約1km先に
日本橋が有ります。
日本橋を起点に東西南北の道が
江戸時代に作られたのです。

わたしも東京駅から西へ東海道新幹線

山陽新幹線、九州新幹線、
東へ仙台~函館、札幌、
北は北陸上越新幹線で新潟、金沢と
歩きました。
その間、テレワークと同じように新幹線の
中でキーパードを叩き、周りの人が
キーボードの音がうるさいと
言わんばかりの顔をして視線を
わたしの座席シートを睨みつけて
いることもしばしばあった。

宿泊のホテルではPCの

通信LANケーブルが備え付けられている
ホテルを見つけて、通信を使い
会社へ報告書メール通信を行って
わたしからの一方通行で、電話で
やり取りをし、帰社後にまとめる
ことにしていた。



今日のテレワークは顔出しで常に会社が
見張っているような気がして
離れた所で働いているかを
チェックしている事にだけ
集中していると思われる。

内勤の人達は、決められた場所での

仕事場で仕事をしる事になっているが
わたしの会社2000年当時から
フリーアドレス化しており、自分の
机は無く、袖机だけを自由に持ち運びが
出来て、仕事をする位置を決めて
その一日の机が自由に使えていた。
また、会議も立ったままでの会議を
1時間ではなく、40分で切り上げる
会議を心得て実行していた。

価格や性能、用途などお客様の使う目的によって選びます。


通勤困難型の社員は、通勤が難しい人
には、PCを持ち帰って業務をする
社員の中にも多種多様で
自分に合ったテレワークを実行すべきです
社員の中にはサテライトオフィースを
便利に利用している人もいる。
勤め先は通勤しなくてはならない
人が近くにサテライトオフィースが有れば
そのオフィースを利用し営業マンは
そこを起点に活動する事を可能にしている

わたしがまだテレワークと言う言葉が

流行しない時の仕事はまず顔出し無し
パソコンが重かったがお客様から
珍しい仕事をやっているねと言われた
まだ、Wi-Fiが整っていない頃で
携帯のテザリングを使って通信し
ある時はNTTの携帯コピー機を
持ってお客様との交渉事に使用し
通信関係の機器を使って便利とは
思ったが、当時はビジネスバッグには
入らなかったことを覚えている
これからはますます、テレワーク時代
小中高大と自宅での授業が慣れて
大人になって仕事はテレワークに直ぐ入れる