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【歩てはふり向かない人生何歳からでも楽しめる!】

土曜日の夜、BSのチャンネルを
リモコンで選択したら、
ある、大学の学長に最近就任した
出口治明さんが教壇に立って
1人でモニターに向かい
学生たちに講義をしている

モニターの中の学生たちは、

いつもと変わらない、ラフな
服装で、講義を聞き、学長の

話の合間に、質問を投げて

質問に的確に答えを出して

学生達に教えていた。

出口さんは20年前に大分県

別府市の湯けむる小高い山に

国内では珍しい世界各国から

学生を募集し現在では6000人

規模の学生が学んでいる。

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わたしもこの大学には出来て
間もない4回生の子供が入学し

四年間は学生のイベントに

招待され、関東から行くので

観光気分になり、食事も

温泉はもとより、食も、関サバ
関アジと海の魚を冬の時期に
頂ききました。

2月にはフグ料理が旬を迎え

大変美味しく頂いた事を思い出し
ます。

四年間で、必ず4回は別府に
行きました。そのルートも

最初の年は、大分空港に降り
立って下宿先を不動産を通じて
学校近くのアパートを見つけ
レンタカーで家財道具を買いに
行って手伝ってきました。

次に福岡経由でレンタカーを
空港で借りて、九州自動車道を
走り、分岐点の久留米ジャン
クションで大分道へと左折して
朝倉、日田、湯布院、別府と
山なみを走り、湯けむりの別府
市内へ行った思い出が今も
よみがえってきます。

しかし、今は大雨の情報が九州
北部が災害に遭って居る映像を
見ると、居てもたっても
いられません。

短い間の4年間の往来でしたが
特に印象的だったのは、別府から
大分、竹田、阿蘇、熊本、八代
人吉までの九州縦断鉄道に乗れ
たことです。
車窓からの眺めはとても
素晴らしい景色が見られ、特に
阿蘇山は雄大で活火山らしい
噴煙を上げていたのを思い
出します。

その風景も今では、水害の影響で

竹田から阿蘇駅の折り返し、
5年前の地震で線路が崩壊し
阿蘇から大津町までの区間は
まだ、復旧のめどが立って
いない状況、大津駅から熊本駅
間の運行だけになっている。

熊本から鹿児島本線の八代駅
それから、今回の肥薩線八代
から人吉駅間が今現在列車が
動けない状態になっている。

中でも鉄橋が流された場所は
復旧のめどが立っていない状況
したがって肥薩線の八代人吉間は
不通になって、人吉から吉松まで
も今も復旧のめどが立っていない

ちなみに、肥薩線は昭和の初めは
鹿児島本線としてスタートし
軍事用具を運ぶ線として山の中を
走ったのだと聞いている。

戦後は、西側に鹿児島本線を作り

八代、日奈久、芦北、水俣、出水

川内を走るようになり、本格的に
電化されて昭和43年ごろには
電車が走るようになった。

横道に家庭の電気はAC電源ですが
九州の電車は交流制御を採用している

九州管内は交流の電車、東芝の
あずき色の電気機関車が走っている

本州側から九州へ入るときは
本州側は直流電源車山口側で直流
交流電気機関車つなぎ関門トン
ネル内で電車の電源を切り替え
ていた聞いている。

山口側の電気機関車はアルミで
できた銀色のボディーが目立つ
電気機関車でした。

GOTOキャンペーンが始まり
ました。行きたいところは
やまやまですが。
もう少し自粛する必要が有ると
わたしは思いました。

あなたも自粛頑張ってください。
お互いが我慢の時期に入ったと
思います。