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【高齢者】歩く道は1本でも複数でも耐える事が大事!

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自由まなぶ

6年前に大損した。家族には言えなくて独りひっそり、youtubeで儲かる話の動画を見てまた大損した。その後、メンターの動画を拝見して、この人だったらと思って、独りひっそり、引き寄せの法則、潜在意識、地球の波動、周波数の秘密を教わって、健康でお金に心配のない残り少ない人生を過ごします。これから謙虚に感謝の気持ちで日々学んでいます。

年齢と共に、目標に持っていた
自分の心に誓ったことが幾度と
なく歩んできました。
幼い頃の大きな夢は、僕は電車
の運転手、私はケーキ屋さんと
思って夢は膨らんでいました。
いつの間にか、1本の道が複数に
なる事は、人生に迷いが有ると
言う事になる。
一日置いて、再び災害現場の
自宅にたどり着くのに、車は
う回路に誘導され、遠回りして
40分ほどかかった。いつもなら
10分程度で実家に行けるのです
が道には泥交じりの流木が道を
ふさいでいた。自宅に着いたや
る事は、泥をかき分けて、倒れた

家財道具の中身を取り出して、

購入したビニール袋に濡れた本
割れた容器、洋服をゴミ袋に
入れて、身体が思うように動き
ません。思う事は若ければ体は
自由に動き回れるのですが、
高齢者に成っている今ほどほどに
腕は痛いし、足の力はないし
段々、腰が曲がって行くのかと
思うと悔しくなります。
若いうちは、平気だけど、段々
年を取るのはあなたも、何れは
来ることを忘れないでいて
欲しい。これからどうするかは
家も住めない状態で、先ずは親
戚の家に、ひとまず避難したが
何時までに住まいをどうするか
を考えなければならない。

高齢者女性二人がどう考えるか

まだまだ、考えが思いつかない
と思う。まずは住む家を確保す
るか、親戚の家で、一間を借り
て一生を終えるか?今の高齢者は
お金を持っている人は、高齢者
施設に入居出来る人は良いですが
住宅が無く、行くところも無く
年金も国民年金だけでは、当然
ですが施設には入れる条件には
満たないと思う。そういう事が
今起きようとしている。
避難所へも足を運びました。

その結果、小学校を避難所に指定

している市の担当者に今、親戚の
家に避難しているが、避難所に
来たら受け入れてくれるのか?
今は、空いてるには空いているが
いつ埋まるか分からない。
ここに来ないと空いているか入れ
るかは分からない。直ぐ埋まって
しまう事も有る。
話を聞いている間にも、避難者が
避難所の体育館に入ってくる人が
いた。その間、体育館の中をのぞ
きこむと、狭い感じの密になって
いる感があった。それに異臭がして
換気が行われているのか分からない
が、あれでは病気になってもおかし
くないと思った次第。

テレビで見て
いる避難所は、もっと清潔感があっ
たように見えたが?

今のところは
避難所として、母の実家まで135km
高速使って2時間40分3220円かかり
ます。一日で帰ってくるとしたら
高速代6500円ですが、避難所が
使えないのは仕方が有りません。
金の問題では有りません。早く
復旧してもらいたいと思います。
人吉市内でもインターチェンジの
側は少し小高くなっているので、
今回の災害は免れました。私の
実家は市内でも少し高いと思って
いたところでしたが床上浸水して
しまいました。あまりの安心さが
仇になってしまったみたいです。
ここまでは、と思っていたので
すが、水の勢いが増して、実家
まで、入り込んできました。
避難所には背中に厚生労働省の
ロゴ入ったチョッキを着ている
人がいましたが、調査班?何を
調べているのか?今東京からの
客人は感染者が多いから訪問は
来てほしくないと思った。

先日、熊本県の要請で愛媛県

からの応援者が新型コロナにかかっ
ていたと報道していた。もう少し
後でやるべきではなかったのか?
感染者が避難所で対応していたら
避難所から感染者が出てもおかし
くない。市民の皆さんは4日から
必死になって家の中の泥水で浸か
った衣類、紙、電化製品を外に
出して家の中を整理していたが
中々人手が足りなくて、一向に
進まない。ボランティアを募集
して地域の人達が50人募集に

250人もの方達が日曜日を返上し

て駆けつけてくれたことは大変
嬉しいですが、ボランティアの
方達がどこへ派遣されて行って
いるのは分からなかった。
災害にあったらまず、避難所へ
行くべきです。と感じた、何も
かもが避難所に届いているか
らです。ご飯の心配もなく、
寝泊まりもできるのでまずは安心
ただし、病気もちで重症な人は
避難所ではなく、罹りつけの病院
が良いと思った。薬はすぐ出る。
ただ、病院も床上浸水したところ
には行けない。良く情報を聞き
行動するように、防災無線で呼び
掛けていた。

人吉市のお昼の時報には人吉生ま
れの作曲家「犬童球渓」の故郷の
廃家がたまたまお昼時間だった
ので懐かしく聴けました。

高台から見下ろす、市内では
浸水水害で作業を一旦手を休めて
お昼ご飯を頂いていると思います。
この避難所に上がってくるには
高齢者は無理、足の悪い人も
無理な場所だと思います。
坂道にも1本の道、枝わかれた
無数の道が有る。あなたはどの
道を選びますか?

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