古希を過ぎて、昨年から今年に
かけて新聞に載る報道にわたし
はその道を歩いてきました。
最初は、昨年4月に旅行会社の
豪華船旅の広告を見て応募し、
5月には旅行会社で仮契約を、
8月には本契約と旅行先の
寄港地のオプショナルツアー
の予約をして順調に事は
進みました。
その名も、ダイヤモンド
プリンセス号何です。
昨年は心ウキウキ、9月、
10月と日に日に乗船の日が
近づいて、指折り数えながら、
船内では何を使用、寄港地
ではと計画を立てながら
沖縄では親戚の自宅を訪問し、
親戚に会うのも何十年振り
かなと思いながら、食事は
ステーキと決めていたのです。
わたしが40年前に出張で
訪れた事「jack'ssteakhousse」で
食べる事にしましたが、以前の
店が無くなっていたのです。
新たにと言っても30年ほど
前に以前の店からそれほど
遠くない場所に移転してい
たのです。
移転場所は、ネットで調べて
いたので間違いなく、行く
ことが出来ました。
お店は相変わらず、賑わいを
見せボックス席で頂きました。
オーストラリア産の牛ステーキを
頂きました。そうそうここの
スープは本土では中々味わう事
の出来ない独特の味で、
懐かしさが込み上げ
てきました。
食事の後に親戚の自宅を
訪問しましたが、連絡せず
に訪問したので、留守でした。
ちょうどお昼時で
したから外出していたのかも
しれません。
タクシーを捕まえて、那覇市内の
国際通りに行く事にしました。
前後しますが、那覇港に着いて
最初に首里城を観に行くコースを
決めていたのですが、首里城は
一週間前に、火災で首里城への
見学が出来なくなったのです。
それでも守礼の門まで
行き、首里城の焼け跡を、
目に焼き付けてきました。
こころの中でどうして、わたしは
以前沖縄に出張で来た時は首里城
はまだ完成していませんでした。
まだ跡形もなかったと思います。
一つの壁にぶつかってしまいました。
9日間の船旅は、ゆったりした
気分で船は南下するごとに、
11月なのにまだ夏が残って
いて半そでで十分でした。
船内では、朝の日差しと共に、
デッキ、オープンテラスに
ラジオ体操の第一、第二、第三?と
スピーカから流れてくると、自然と
身体が動き始め、船内にいた人たちが
国籍を問わず、身体を動かしていた。
身体を動かすように、ラジオ体操に
ストレッチ音楽、それにエアロビック
等多彩なミュージックが流れてました。
体操の後の朝食はとても
美味しく頂く事が出来ました。
特に驚いたのは、朝食の前に手を
しっかり洗う事が決められて
いるのでしょうか?ウエイトレスの
方が、手洗い場に立っていて、
手を洗うように指示しているのです。
その時、ふと思ったのは、この船も
海外から来ている事で、伝染病に
かからない為に対策をしているのだと
思った。
その辺りは乗船しているスタッフの
方達も教育されていると思った。
11月13日に最終地横浜に9日間
の船旅を終えて帰ってきました。
その2か月後には同じ船で、
びっくりした。楽しいはずの船旅も
大きな壁に遮断された。
そして、7月4日に豪雨災害に実家が
床上浸水で、実家は住宅に住める
状態ではなくなった。
母から実家の状況を聞き、新型コロナの中
実家へ向かいました。
無残にも、畳は浮き上がり、洋服、
雑紙等は水を含み到底持ち上げる
事も出来ないくらい重く整理も
ほどほどにして、母の居る避難所へ
行く事にした。
母はもう住めないと諦めていた
あの状況を観れば誰でもそう
思ったに違いない。
更なる重圧の壁がわたしを襲った。
しかし、こんなにも偶然と言う物に
あたる年は今までにと言うか
生きてきてあり得ない事だと思った。
あなたは、今年はどんな年ですか?
わたしは昨年から今年にかけて
三つの壁に当たりました。
もうこれ以上後半年です。平和な
年にして欲しいです。