今年も全国の駅弁を新宿!
デパートで開催されたのを
テレビで見ました。
コロナ禍で外出できない
高齢者にとって全国の駅弁の
模様し物は、人気が有ります。
知ってました、駅弁が有るのは
日本だけなんですね!
駅弁の発祥の地は宇都宮と
言われています。
ご存じの方もいると思います。
旅行や通勤に列車を使用していた
明治時代に宇都宮から東京(新橋)
迄の距離を今では信じられないほどの
時間がかかり、お腹も減って
考えられたのが、おにぎりに
たくわんが竹の皮で包まれて
販売されたのが最初と言われています。
今では、新幹線でも車内販売を
JR東日本はコロナ禍で中止する
事に成り、また東京から乗車して
仙台までの時間が1時間30分、
更に埼玉県大宮から仙台までの
所要時間1時間6分~7分と
一時間ちょっとで距離は321.5kmです。
東京、大宮の駅ナカで買った
駅弁を食べる時間は大宮を出発
してから小山過ぎて食べ始めても
おそらく那須塩原駅付近では
茶臼岳が晴れた日には白い煙を
見ることが出来ます。
今朝は定期健診で整形外科へ
私を含めた患者さん待合ロビーに
いっぱいで、白いマスク姿が
目につきました。
皆さん、少しづつ席を離れて
座ってました。
私は、少し離れた場所で立って
呼び出しを待って居ましたが、
なかなか呼び出しが
無いまま、お昼に突入しました。
おかしいなと思い、待合室の
本棚に目がいき、本のタイトルは
「全国の駅弁」で懐かしい感じがして、
ついつい読んでしまいました。
本のタイトル通り<駅弁を
愛する人が書き込んだ
内容に納得しながら、
駅を思い出しました。
最初は駅弁発祥の地とし
て宇都宮駅のおにぎり二個
たくわんを竹の皮で包んだシンプルな
弁当を紹介してました。
次に神戸駅と関西地区と
書いて有りました。(諸説)
関東のデパートは駅弁大会
という催し物として
53回続けていると言う事は
昭和の初め頃から
開催している大イベントですね。
全国の駅弁が勢ぞろいする中、
小さい頃の思い出として、
駅のホームで列車が着くと
べんと♪べんと♪と駅弁を
たすき掛けして担いで男性の
声が響いてました。
左手にはつり銭の準備、
右手には駅弁をすぐ渡せる
ようにして、ホームを
往来しながら今は無くなり
ましたが、昔の窓は上下に開き
乗客の人が手を振って、
注文して買っていたものでした。
私の記憶には、駅弁に
お茶を付けて注文お茶は四角の
プラスチックの容器にTパックの
お茶が入っていて、お湯を注ぎ、
待つこと3分ほどで
お茶が飲めました。コップは
お茶の蓋となってぐい飲み
くらいの小さなコップが
付属で付いてそのコップで
飲んでいたのを覚えています。
いまも、静岡駅でお茶を
注文すると当時と
同じ物を買う事が出来ます。
50年以上駅弁を
ホームで販売している
男性(菖蒲さん)の方が現役でいます。
駅での駅弁販売者は全国に
3名ほどだそうです。
菖蒲さんは、JR九州の肥薩線、
人吉駅(ひとよし)で立ち売り
3日間出勤して販売しているそうです。
ここの弁当は「栗めし」
「鮎ずし」の二種類はと別に
私は美味しく頂きました。
栗めしのくりは球磨地方の
独特な盆地の中に
朝夕の霧が立ち込め、木々に
栄養素を与える盆地の特徴を
生かし、実りのくりは市場に出る
栗とは違い大きくて身が
締まった利平と言う品種を
使っている事で、甘味が有り、
栗ご飯にぴったりの一押しの
駅弁だと確信します。
また、鮎すしは、三大急流の
一つ球磨川は清流に恵まれ、
鮎の生育にマッチしたコケが
豊富に岩肌にびっしりと付き、
そのコケを食べる事で、
あゆの独特な胡瓜の香りが
としても鼻につきます。
あゆは、産卵前には大きく
育ち脂ものって美味しく
頂けます。
そんな、鮎を使ってすし飯
にする事で、鮎のうまさを
逃がしません。
全国の駅弁大会は既に昭和から
平成の時代に立ち売りは減少
しましたが、その土地柄に
美味しさを求めて列車の旅を
する人が、今では、菖蒲さんを
訪ねて海外からも
お客さんが増えたそうです。
のんびりした、旅も駅弁を
買って車窓を眺めて思い出
作りも良いものだと思います。
あなたはどこの駅弁が
食べたいですか?
きっといい旅が出来ますよ。