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【懐かしく昭和の歌謡曲を聞きました】

令和生まれの人は2年目です。
昨年の流行歌と言えば、本来
ならば「パプリカ」と言う
曲が子供から大人まで歌われた
曲だと思います。

わたしは、昭和戦後生まれの
ロー高齢者にとっては、歌謡曲と
言えば、三橋美智也の「お富さん」
「古城」「月光仮面」レパート
リーは沢山あり、子供の頃に
歌った歌は、曲が流れだすと
直ぐに口ずさんで歌いだす。

小学校の頃は平尾昌晃のロカビリー
アメリカの曲をカバーしたり
みよちゃん、星は何でも知っている
すべて歌えるのが今は不思議に
思う。小さい頃はギターなんか
自宅には無かったので、居間の
掃除をするときに使う、箒を使い
ギターに見立て弾く真似をしながら
自宅の中で良く歌ったものでした。



その時、面白半分にアンコールが
あると、今度は皆で合唱した
ものでした。まだ子供心で歌って
青春ではなくませていた子供だった
のかなと思った。

このころは成長時代で、歌う曲は
演歌、ポップス、歌謡曲等が
歌われて、無映画の主題歌の曲も
中には歌われていた。
当時は、東映が漫画、時代物、
やくざ者等の映画を製作して
その中でも、俳優さんが歌手として
デビューし鶴田浩二のサンド
イッチマンと歌っていたが、全く
意味も無く歌っていたが、街の
中を燕尾服を着て、前と後ろに
胸から下に60cmほどの看板を
吊り下げて、歩いている人の事を
言っていた。
その当時の広告塔で日当払いの
日雇い労務者の人が仕事として
行っていた。

到底、小学生には分からない仕事
だった。
日活の映画と言えば、青春者の映画
喜劇な時代劇、そんな中、渡り鳥
シリーズがヒットして、小林旭
石原裕次郎、他にも沢山いますが
わたしの中で代表される俳優で歌手
が頭の中に残っています。

大映は時代劇でも、夏の怪談物が
上映されていたと思います。
長谷川一夫の銭形平次等の役作
りは日本人にマッチした役者
だったと思います。



日本には映画1960年(昭和35年)
には7457のスクリーンが有りま
したが、1993年には1734スクリーン
と激減していまい、TVに押されて
しまい、その後は、2016年には
3472スクリーンと海外からの映画が
配給され、徐々にスクリーンが
増えてきた。入場券も200円から
今は1200円となった。

これからも時代は移り変わり3D
から映画も自分が主役の映画が
やって来ると思う。
そうなれば、見終えたら主人公の
ままでいる事が起きるかもしれない。

歌と映画は一体ものだとわたしは
思うし、これからも良い作品が
出来る事を楽しみにしています。
あなたは、あなたのタイム
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